「つまんない!僕もパーティ出たいのに!」
まだ幼い後継者の少年は、ベッドで足を揺らしながら口を尖らせていた。
「お姉ちゃんばっかりずるいよ!」
少年と一回りも年の離れた少女は、大人の顔をして弟を見下ろした。
「何がずるいのよ。お前が勉強しないでお父様におしおきされてるのが悪いんじゃない」
少女は部屋へやってきた案内役に促されて、扉を出た。
「僕も行ってお客様にご挨拶したい!」
「駄目よ。誕生日会とは違って誰もちやほやしてくれないんだからね」
無情にも扉は閉じられ、少年は思い切り舌を出した。
少年の父はその名を知られた人物だった。
巨万の富と数多くの名声を得ていたが、なかなか男子に恵まれなかったため、遅く出来た娘とそして息子をたいそう慈しんでいた。
もっとも息子はまだそういった事情を理解するには幼すぎ、父が主催するパーティは、輝く魔法の催しのように見えていた。先日の誕生日パーティがまさにそれだった。
きらめくシャンデリア、色とりどりの衣装を纏った美しい人々。注がれる微笑みと、繰り返される乾杯。
誰もが優しく、誰もが少年に贈り物をしてくれたのだった。
「…ふんだ、僕が大人しくしてると思ったら、大間違いなんだから!」
少年は廊下に誰もいないことを確認すると、思いきって飛び出した。
財団法人の設立三十年を記念して開かれたパーティで、財閥当主である男は拍手を浴びていた。
手がけた法人は数多に及ぶ。奇麗事ばかりではすまない時代もあったが、男は勝ち続け、後継者たる男児にも恵まれた。
だが、それを妬む者も、確かに居る……。
唐突に、それは起こった。
「この揺れは何事だ!」
「爆発です!エントランス付近で爆弾が…!」
倒れた警備員と、突如ナイフを取り出して当主に迫る招待客。
悲鳴と怒号が会場を包む。
「裏切り者!」
声を掻き消すように爆音が建物を揺り動かした。
立っていられず思わずしゃがみこむ女達と、外へ向かう通路でひしめきあう男たち。
「こんな謀略をみすみす見逃していたとは…!」
当主の怒りも、反逆の男達の足を止められなかった。
「死ね!」
迫り来る刃に、当主が目を見開く。
だがその切っ先が肉にめり込むことは無かった。
「何!」
男達の手から、ナイフが消えていた。
いや、消えたのではない。奪い去られたのだ。
「な、な」
動揺して周囲に視線を走らせる反逆者は、奪った主を見つけるより前に床に沈んだ。
当主に最も近い位置にいた仲間が敗れたことによって、計画の失敗に気づいた男たちがいっせいにエントランスに向けて走り出す。
「奴らを、逃がすな」
当主が独り言のように呟く。
それは小さな声でしかなかったが、確かに頷く者があった。
「こいつの命が惜しかったら、そこのナイフで自分の首をかき切れ!」
逃亡する男の目の前に偶然に飛び出してきた少年は、当主の息子だった。
「お父様!」
倒れている人々と、爆発で煙に満たされた室内に少年は怯え、男に刃を突きつけられながら青ざめていた。
「お前、どうしてここに…部屋に居たのではないのか」
「ご…ごめんなさ…、僕…」
切れ切れの謝罪も、男の哀れを誘うものではなかった。
「早くしやがれ!このガキを殺されてもいいのか」
動かない当主にじれた男は、少年を抱えたまま走り出す。
「お父様!」
「追ってくればこいつを殺す!」
「お父様、あの子が…!」
弟の身を案じる姉の肩を、父が抱きとめる。
「大丈夫だ。…あの男が追って行った」
「あの…」
「お前が小さかったころ、誘拐された時のあれを覚えているかい。今度もきっと」
よほど用意周到だったと見えて、逃亡者を乗せた車はよどみなく走る。そのルートも時間も、すべて計算されていたに違いなく、騒ぎを聞きつけたはずの警察の到着よりも立ち去るのは早かった。
乗り捨てる場所、乗り換える次の手段。監視カメラの設置位置まで、おそらく視野に入っていたのだろう。
……だが。
「馬鹿な!お前、あそこの使用人か!どうやって追いついた!」
仲間の用意した次のトラックに乗り換えようとした男の眼前に、立ちふさがる影。
それに男は驚愕した。
「さてはバイクか!だが残念だったな、お前は袋のねずみだ!」
トラックの陰から、男の仲間達がばらばらと姿を現す。
その手にはそれぞれ、ナイフや銃器が握られていた。
「一人で追いかけてきたのが運のつきだったな。ガキとともに死ね!」
一体どうやったものか、男は目を擦る。
追跡者の動きが速くて見えない。
だが確かに人質は奪い去られ、現れた助けの男の足にすがりつくようにして震えている。
「ち!だが俺たちからは逃げられないぞ!」
男の言葉どおり、少年は囲まれていた。
「た、助けて…」
怯える少年の頭に、触れる指があった。
当主が寄越した、助け手だ。
「私から手を、離してください。すぐに済みます」
「や、やっつける、の?」
はいと男は答えた。
「でも…、僕のためにお前が怪我するのは嫌だよ!」
敵が一斉に攻撃を仕掛けてきた。
「心配御無用」
その言葉が終わるか終わらぬうちに、襲ってきた男達が昏倒した。
少年の目には、彼が生まれる前から屋敷にいるというこの使用人が、一体何をしたのかまったく見えなかった。
ただ、そっと掴んでいた手を離せば、残りの敵が倒れるのもまさに瞬間のできごとだった。
「す…すごい…」
少年がテレビで見てきた、ヒーローたちの激闘とはまったく異なる戦いがそこにはあった。
その動きは緩慢とさえ言えるかもしれない。指先ひとつで恐ろしい形相の敵をひれ伏せさせてゆく。まるで、魔法でもかけているかのようだった。
「すごい…。なんて強いんだ」
少年が駆け寄った。
「ありがとう飛鳥!」
力の限り飛びついてみたが、この使用人は他の大人たちのようにかがんではくれないので、結局足にしがみつくことになった。
けれど、そんなことも気にならないくらい、少年は嬉しかった。
「さあ、お屋敷へ戻りましょう」
「うん!」
少年は思いきって彼の手を握ってみた。怪訝な顔をされたが、振り払われることはなかった。