山崎駅から徒歩五分のマンション最上階に、当麻と征士のうちがあった。二人はここから約40分かけて、高校へ通っている。
普通の高校生の筈なのに、気がつけば麻薬密売事件にまきこまれたり、宇宙猫事件にまきこまれたりしているが、当麻が無防備なのをいいことに事件のどさくさに紛れて唇を奪うことができた征士は今日も鉄壁の理性で下心を隠しきり、当麻のためにダイニングにたっている。
日曜日の朝である。
青い銀河の眠り姫が、起きる気配はまったくない。
当麻が選んだグリーンのエプロンをして、まず征士は冷蔵庫を開ける。サラダになりそうなものを選び、次にサンドイッチになりそうなものを選ぶ。湯をわかし、カップを用意し、テーブルクロスを整え、皿を並べる。
その時点で、当麻を起こしに行くのが毎日曜の征士の日課だ。
「当麻、起きて顔を洗え」
寝室のドアを開けて、声だけ中に放り込む。
それから征士は、どうせそんなもんでは当麻は起きないから、内心ほくほくで、でも顔だけは不機嫌そうにして、中に入る。
断っておくがKKシステムのこの物語の当麻は、決して寝起きが悪いほうではない。なぜなら作者である私がTVを見ててそうは思わなかったからである。
さて、余計な2行が入ったが、現に当麻はねこけている。
「まったく、脳味噌に皺がなくなっても知らんぞ」
カーテン越しの黄色い光が室内を明るくしている。二つ並んだベッドの片方で、当麻はうつぶせになって、顔を影になるほうにむけている。
これは、一度目を覚ました証拠だ。
人間は寝るときにどんな姿勢であれ、夜中になると正面を向くものなのだ。それがこの不自然な姿勢…。
こころなしか、当麻の口元は嬉しそうに笑っている。
「何故いっぺんに起きない」
腰に手をあてて、怒る征士の声は、笑っている。
征士だってよく知っているのだ。
一度起きてから、まだ暖かな布団のなかで再びまどろむことがどんなに心地好いことなのか。
「ほら、起きろ」
被ったふとんからのぞく頭に、征士のげんこつがぐりぐりと当てられる。するととたんに当麻の眉間に皺がより、背を丸めて布団の中に後退しはじめる。
「逃がすか」
ずるずると隠れてゆく頭にくっついて、征士のこぶしもその中に潜り込んでゆく。
「うー」
「起きろ」
「うにゃ」
「こら」
暖かな布団の中で、征士がこぶしを開く。そしてその長い指を四方へ広げ、当麻の頭を掴まえた。
「起きないと、こうだぞ」
当麻の返事を聞く気はもとより、無い。
五本の指がぐしゃぐしゃに髪を掻き回した。
「うぎゃーんっ」
布越しの、くぐもった悲鳴。同時に、当麻の両の手が征士の乱行を食い止めようと戦場にやってきた。
そして空しい戦いが30秒ほど続いて。
こうして、当麻の敗戦で日曜の朝は始まる。
「あれ?なんか俺、忘れてるような気がするなあ。なんだろう」
顔を洗い、不承不承の着替えが終わる頃、征士による朝食の支度が全部終わる。テーブルについて、まずは紅茶に口をつけて、当麻がそう言った。
「なあ征士、今日って、なんかある日だったっけ」
丁度当麻の向かい側に座る征士が、カレンダーに目を走らせてから答えた。
「思い当たらんが。約束でもあったのではないか?どこかへ行くとか、明日までにやっておくとか」
「宿題ないよな?」
「ある」
「うそ」
「英語」
「あっ。そう言えば。でもそれじゃない」
「何だ」
「宿題なんかいちいち覚えていないから」
今頭にひっかかっているのはもっと別のことの筈。
「うーん。思い出せない」
何か必死に考えながら、手はタマゴサンドをちゃんと選んで口に運ぶ。あいまに紅茶をすすって、ちょっと指を嘗める。
その指で、何を思ったかサンドイッチを開いて、中のタマゴとマヨネーズをにらんだりし、そこだけ食べてみたりする。
辛くて、再びパンで閉じて、それを食べる。
すると、おいしい。
当麻はにっこり。
……行動に意味は無い。当麻は時々こうやって、考えているテーマから外れた行動をとってしまうだけだ。そしてそうしているうちに、今考えていたことを忘れてしまう。本人に自覚がないだけに、征士はいつもその当麻を目の当たりにして、吹き出すのをこらえていた。彼にとって、毎日は非常に充実していた。朝必ず征士が起こしにくることを体で覚えた、油断している当麻との生活は。
RRRRR…!
「征士ー、電話」
「側にいるなら出ろ」
「俺、今、テレビ」
「私は洗い物だっ」
大慌てで泡を流して蛇口を止め、タオルで手を拭き拭き、征士は受話器をとった。目の端に、TVの前を一歩も動いた様子のない当麻が映るが、もはやしかたがない。
「もしもし」
『もしもーしっ。伊達か?班の連絡網だぜ』
「連絡網?一体なんだ」
『あれ?羽柴から聞いてない?人数足りないから先生がお前を俺たちの班に変更したんだぜ』
「班…って、三年生卒業式の後の、予餞会の仕事の担当の?大道具班じゃないのか」
『キャスト』
なにげなく、耳に入る征士の言葉を聞いていた当麻が、がばっと振り返る。
「思い出した!」
「キャスト?演劇の?………ちょっと待て、貴様の班といえば」
「征士、俺伝言頼まれてたんだ!女役グループの人数が足りないからお前に入ってもらおうって先生た…ちが…、やだなあ、睨むなよ?」
受話器の向こうで、キャストの女役グループのリーダーが何か呼び掛けている。
「とおま…」
「俺が決めたんじゃないってば。先生が…」
「人数が足りないというだけで、何故それが私に回ってくるのだ。…隠すなよ」
事実は。
もちろん征士の予想する通りで。
人数がたりないと聞いた当麻が征士の名を挙げてしまったことによる。
「うわわ。カンベン!寄るなよ、おっかねえ」
「貴様はぁ!」
「ぎゃー、死ぬ、死ぬ」
首を締める振りをして飛び掛かる征士を求めて、まだ切られていない電話先の主はむなしく待ちぼうけをくらわされた。
このことによって、二人に関する「非常に仲が好い」という噂が流れるのはもうしばらくあとの話である。
これでおわっちゃうんだな。